No.30 : ラジオ放送発祥の地

2016年6月24日 up

    日本で初めてラジオ放送の電波が送信されたのはどこでしょうか? 多くの人が東京都港区にある愛宕山と思っているのではないでしょうか?

    確かに、JOAKの本放送が始まったのは、1925年7月12日に愛宕山からでした。それを記念して、愛宕山の地は、現在ではNHKの放送博物館になっています。しかし、それを遡ること100日余、3月22日に芝浦の仮送信所から電波を出したのが最初とされています。

    芝浦の仮送信所というのは、1921年に設立された東京高等工芸学校という官立学校の図書室を借りて米国GE社製送信機を設置したものです。開始当日の朝9時30分に「アーアー、聞こえますか。……JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。 こんにち只今より放送を開始致します。」という言葉で始まったことになっています。

    もちろん、正式な無線局免許を取得して後のラジオ放送開始は3月22日なのですが、無線局免許というのは、無線設備の工事が完成した後に当局の検査が終了してから発行されるものです。 検査を行うためにはそれ以前に必ず実送信を含む試験を実施しなくてはいけません。その試験放送が始まったのは3月1日だったようです。JOAKはラジオ放送開始に先立ち、3月1日から放送を始める、という風に宣伝していたらしく、 大阪のJOBKに送信機調達を先越されたこともあって、かなりあせっていたようです。急場しのぎの借り物送信機で3月1日の試験放送に漕ぎつけたものと思われます。

    ところで、東京工芸学校は、その後に名前を変えたり移転したりしますが、現在、その地にあるのは東京工業大学付属科学技術高校です。ただし、東京工業大学付属科学技術高校は、東京工芸学校との歴史的繋がりはないそうです。 場所は、JR田町駅の海側すぐ横です。JRの電車からも校舎やグランドが見えるので、ご存じの方も多数いらっしゃると思います。

    その敷地の一角に放送記念碑というのがあるのですが、それに気づく方は非常に少ないのではないかと思います。 どうしてかというと、記念碑のある場所は、JR田町駅芝浦口(東口)の階段を下りた裏側で、その前の道は行き止まりで店も何もないため、記念碑の前を歩く人はほとんどいないからです。 田町駅芝浦口の階段は通勤時間帯には溢れるばかりの人並みなのですが、記念碑の前を通勤時間帯に通る人は全く誰も いません。せいぜい、昼休み時に近くの工事現場で作業している人たちが記念碑の台座に座ってお弁当を食べるか昼寝をするのに訪れるくらいです。お弁当を食べている人たちは記念碑には何の関心も示すことはありません。ちょっと残念で、寂し気な場所です。

    一方、愛宕山の方は、有名な出世の石段という非常に急な階段があり、いつも写真を取りに来る人を見かけます。あまりに急なので、写真だけ取って上の愛宕神社まで お参りせずに帰る人も多いように見受けられます。裏を回る舗装道路もあるのですが、お勧めは、近くの愛宕神社前交差点から神谷町方面に抜けるトンネル入口のすぐ左脇にあるエレベータを利用することです。 このエレベータで上がるとNHK放送博物館のすぐ前に出ますが、そこから愛宕神社拝殿に高低差なしで歩けます。神社にお参りするついでに放送博物館の方も是非見学してみてください。

    蛇足ですが、私の更なるお勧めスポットは、放送博物館の裏側に広がる青松寺や愛宕グリーンヒルズの裏庭です。ここが東京のど真ん中かと思うほどの静けさで、週末のお昼時でも人をほとんど見ることはありません。