No.13 : 多摩送信局跡

2009年10月1日 up

    今回のトリビアは地元の歴史物語です。
私のオフィスから車で5分ほどのところに法政大学多摩キャンパスというのがあります。
「多摩」という名ですが、住所は町田市(一部は八王子市)、
最寄駅は橋本か相原か高尾、というちょっと中途半端な場所です。
以前住んでいた東小金井の近くにも法政大学小金井キャンパスというのがありましたから、
法政大学とは縁がありそうですね。

    その法政大学多摩キャンパスですが、戦中・戦後をまたいだほんの1年半の間だけ、
短波の送信所があった場所です。
当時の国策会社であった「国際電気通信株式会社」の多摩送信所というのが、
この場所に昭和20年5月に開局したのです。
海外向けの通信やNHKの海外向け放送とかに使われたとのことです。
以前からある他の送信所は外国に場所を知られているので、空爆の対象とならないような秘密の送信所として、
樹林帯の中に空から見ても分かりにくいように建設されたようです。
もちろん、当時の面影は何も残っていませんが(現在は立派な校舎やグランドになっていますが)、
法政大学の手によって「多摩送信所跡」という碑だけが後年建てられています。
先日、撮影してきた碑文を下に掲載します。

    その碑文や他の資料によると、昭和20年8月10日に当時の政府が「御前会議」で
ポツダム宣言受け入れを決定したあとすぐから15日までの間、
他の短波送信所と共に、連合国向けに、
日本がポツダム宣言を受諾した旨の通信や放送を行ったそうです。
日本国民向けには15日になって、いわゆる「玉音放送」で周知されましたが、
連合国側には8月10日にはもう日本降伏のニュースは伝わっていたのですね。
当然、送信所関係者はそのニュースを知っていたのでしょうが、周りの人には言えなかったと思います。
8月15日に「玉音」レコードを確保して戦争続行を企てた将校がいたそうですが、
何とも茶番劇のように思えてきます。

    なお、当時は、高さ60mのアンテナを鉄塔でなく、木柱で建てたそうです。
そう言えば、昔の短波時代の標準電波JJYも東京都小金井市に送信所があった頃は木柱でしたね
(1977年までは、JJYは小金井から送信されていました)。
木製の電柱を縦に何本も繋ぎ合わせて作る訳です。
当時の先輩方は、修理や調整のために、命綱もつけずに軽々とてっぺんまで登っていたそうです。
今そんなことをすると、減給何か月といった懲罰になるのは必至でしょうが。